青森旅行記 その③(八甲田)
令和5年(2023年)7月12日~14日
13日(木)
takachan
13日(木)
今日は快晴☀️だ。朝食バイキングのメニューは夕食の半分の規模ながら、それでもかなりの種類。洋食を中心に(家内は和食)、美味しくてやはり食べすぎ気味だ、、。
今日は八甲田ロープウェイへ向かう。
途中通過する十和田市について、上原さんのお話。 この地域は5000円札の肖像画で有名になった新渡戸(にとべ)稲三の祖父 傳(つとう:南部藩勘定奉行)が開発した土地。
昔は不毛の土地といわれた三本木地区、そこへ十和田湖を水源とする奥入瀬川に水門を造って水路を引くという、困難な事業を手がけたのが新渡戸 傳。
稲生川(いなおいがわ)と呼ばれるその水路の造成にあたっては、安政2年から2本のトンネル(1500m、2000m)を人力で掘って完成させた。これは日本の土木史上の貴重な遺産となっている。
この水路を利用して初めて稲作🌾に成功したところの地名が「初田」である。
南部地方(太平洋側)と、八甲田山のある津軽地方(日本海側)では天気が異なるケースが多いという。今日は南部地方が快晴☀️なのに対し、どうも日本海側の天気予報が悪い☁️ようだ、、とのこと。でも行ってみないと分からないところなので「期待をこめてバスを進めましょう・・・」と。
十和田市の話のつづき・・・春、この地方では女性だけの流鏑馬があるという。なかなかの迫力で、機会あれば是非観てほしいと。また十和田市現代美術館も一見に値するところ、オノ・ヨーコ、草間弥生、、etc多くの作家の作品が見られるそうだ。
バスは奥入瀬渓流沿いに進む。途中「ホウリョウのイチョウ」と呼ばれる日本で4番目のイチョウの巨木がある。今日の奥入瀬川は、昨日来の雨で濁っている。
気がつくと上原さんの言葉が、いつのまにか青森弁になっている。通過する蔦温泉にはアントニオ猪木の墓があるそうだ。
広ーい放牧場があらわれる。このあたりの牛は黒毛牛🐃(肉牛)、近在からこの地区へ放牧のために預けにくるということだ。
南八甲田といわれる地域に入る。このあたりの広葉樹林帯(ブナ林)は人が入っていない自然のままのところで、大きな「貯水池」の役割を担っている。
広葉樹は水分を下(根のほう)へ貯める性質があるのに対し、針葉樹(杉、とど松)は水分を上(枝から葉)へ送って光合成で大量の酸素を生み出すという性質がある。自然というのはまことに上手く役割分担をしていますね・・・、と。
これは知らなかった知識で、勉強になった。 ・・・ふと周りを見回すと、ほとんどの方々は家内も含めスヤスヤとお休みになっている。もったいない、・・。
谷地温泉♨️(瀬戸内寂聴ゆかりの地)は、冬 雪に閉ざされる地区。このあたりから霧・雲が出てきた。北八甲田は雲の中のようだ。1040mの笠松峠から下りになる。依然として、霧の中の状態がつづく。
「7月に入ると、冬が来ると思うんです」と上原さん。「7月が過ぎて、8月の祭がおわれば、、と」 それが東北の方たちの季節感なのだろうか。
このあたりで映画「八甲田山」の話をしましょう・・・、と。新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」にも描かれた、明治時代の陸軍による大遭難事件だ。出演した俳優たち(高倉健、北大路欣也、三國連太郎、、)の「厳しかった!撮影話」が語り継がれています・・・、と。(1977年公開)
一方では、八甲田山はスキー場⛷️として素晴らしいという一面も持っている。
道路わきには笹が増えてきた。この地区にある酸ヶ湯温泉♨️(酸性硫黄泉)は、広ーい混浴風呂(女性用更衣室・湯衣あり)で有名。
日にちをかけてゆっくりと湯治をしたいものですね、と。ただし効きすぎになるので1回に3分以上は入らないようにして下さい、とも。
味噌生姜おでん🍢に、つぶ貝を肴に一杯!なんて、最高でしょうね。
そうこうしているうちに、ロープウェイ🚡駅到着。曇っているが、視界は良好だ。
山頂(ロープウェイ🚡終点)の視界30mとは!かなり厳しい・・・と思いつつ、乗車。出発地点(670m)は薄曇り状態なれど、上へ上がるにつれ霧が出てくる。中間地点で上から降りてきたロープウェイ🚡とすれ違うあたりからは、かなりの濃霧に。
頂上に到着(1320m)、完全に雲☁️の中だ。しかもかなりの強風(風速15m)で寒い(13.6度)! 視界はやはり30m程度しかない。しかも我々は半袖Tシャツ姿、これは考えが甘かった!ほかの皆さんは・・・・
・・・結構な防寒着姿の方多し。さすがにこれでは ダメ❌だ。遊歩道も濃霧の中、先を行く人がすぐ見えなくなる。
コースの出発地点の写真を撮るだけにする。さすがは八甲田山⛰️甘く見てはいけない!ということだ。 本来晴れていれば、津軽湾から青森市内、岩木山⛰️が見えるとのことなのだが・・・。
しばしロープウェイ駅舎の中で過ごす。「でもロープウェイに乗れただけでも良かったですよ」と上原さん。風速25mを超えると、運休になってしまうとのこと。けっこう際どかったのだ。
駅舎の壁には、高倉 健さん他 映画撮影時の写真が飾ってある。
下りのロープウェイはスピードも落とし気味。下へ戻ると、少し暖かさを感じる。
再びバスに乗車、上原さんのお話から。
八甲田山死の彷徨、、日露戦争準備のための陸軍の雪中行軍。準備隊が入山時に快晴だったため、第5連隊は「八甲田、恐るるに足らず」としてしまった。
地元民からの「案内を付けよう」という申し出を断った(軍隊に案内など不要)。
猛吹雪❄️🌨️になっても「進め」という上官の命令
、、、、、
結果第5連隊210名が遭難、うち199名が犠牲に。
一方第31連隊が逆方向から案内人を付けて行軍。 遭難現場に到達し、これを発見。
現場の馬立場には「記念像」がある。 (後藤房之介伍長:直立したまま仮死状態で発見され、遭難事故発覚、その後生還した11名の1人)
*新田次郎著「八甲田山死の彷徨」より:「雪の中を行く軍(いくさ)と書いて雪中行軍と読むのだ。いくさをするのにいちいち案内人を頼んでおられるか。 軍自らの力で困難を解決していくところに雪中行軍の意味があるのだ。お前等のように案内料を稼ぎたがる人間どもより、ずっと役に立つ案内人を軍は持っている。見せてやろうか。ほれこれは磁石というものだ」・・・(第5連隊、上官の言葉)
映画「八甲田山」より感動的シーンを、、第31連隊 帰村シーン(5分)
案内人殿に対し、頭 右!
つづく、次回その④(奥入瀬渓流ホテル)
takachan