イタリア旅行記 その⑪(ローマⅣ)

イタリア旅行記 その⑪(ローマⅣ)

平成14年(2002年)8月9日~16

(記録)令和5年(2023年)3月

(追記)令和5年(2023年)9月

takachan

この日(2002年8月15日)訪ねた音楽の殿堂「チュチェリ音楽院」の卒業生で結成された「イ・ムジチ合奏団」が、新型コロナ禍を経て久しぶりの来日を果たした。昨日(2023年9月24日)神奈川県立音楽堂で開かれた、その公演を聞いてきた!(つづく)

(15日)今日はローマの最終日でオールフリータイム。「よーし、今日はローマを歩くぞ!」と意気込んで、家内とホテルを9:15AMに出発。

テルミニ駅の地下街で、ミネラルウォーターと昼食用にパンとリンゴを購入。今日は「聖母〇〇何とか祭」で、ローマ中がお休みの日。日本のお盆のようなものか。街中が閑散としている。走る車も少なく、歩行者天国状態だ。歩いているのは、地図を片手にした各国からの観光客たちばかりという状態。

共和国広場から、スイカ売りを横目にバルベサーニ宮殿のわきを抜けてシスティーナ通りの坂道を下り(どこかサンフランシスコの坂道を彷彿とさせる)、スペイン広場上のサンタ・トリニタ・ディモンティ教会へ。似顔絵かきのわきから、ローマの街を眼下に見下ろして写真をパチリ。今日はいい天気だ。

(ちなみにヴェネツィアは相変わらず水没中、ドイツでもエルベ川が決壊するという大災害のニュースが流れていた。ローマは大丈夫、OKだ。)

スペイン広場上からの眺望

石だたみの道と、街角のフルーツショップ

スペイン広場の階段を降りて、ファッション街のコンドッティ通りを歩く。ブティックはみんなお休みだ。有名なカフェ・グレコも写真を撮るだけ。静かな街だ。

コルソン通りへ出て家内の目的地の一つ、チュチェリ音楽院を探す。路地の一角に発見!ここは歴史の古いマンドリン学科がある音楽院とのことだ。来た証拠の記念写真を一枚、パチリ。路上でサックスを吹くおじいさんにチップを、(結構上手)「グラーッチェ!」

チュチェリ音楽院

(追記つづき)ローマのチュチェリ音楽院は、ミラノ音楽院とならぶイタリアの名門。その卒業生12名で発足したイ・ムジチ合奏団が、祖国の音楽に光をあて世に広めたのがほかならぬヴィヴァルディの「四季」だった。イ・ムジチ合奏団はその後メンバーの入れ替わりも経て、2021年には創立70周年をむかえている(公演カタログより)。2020年の公演が新型コロナ禍で中止になって以来の来日に、その名演奏を聞いた会場は万雷の拍手に包まれた。

以下は、イ・ムジチ合奏団が新型コロナ禍の2020年に日本の観衆に向けて送ったビデオメッセージ・・・

www.youtube.com

ポポロ広場への道

ポポロ広場へ北上し、双子の教会の鐘を聴いて左折しテベレ河の河畔へ。ゆったりとしたテベレ河の流れをながめながら、美術学校わきの木陰の下で昼食休憩。パンをほおばりリンゴを丸かじり、美味い!どこかの国の観光客が、ニッコリしながら通り過ぎてゆく。

テベレ河の河畔

ここよりボルゲーゼ宮殿わきを通り、コルソン通りへもどる。マルクス・アウレリウス記念柱を見上げ、小道に分け入る。どこかからか、マリンバの音色が聞こえてくる。するとそこに、パンテオンが眼前に現れる。ここは人が一杯だ。近くのオープンカフェも満席の状態。ジプシーたちのすがたも多く見かける。

マルクス・アウレリウス記念柱

パンテオン

ローマ大学のわきを抜け、再びコルソン通りからヴェネツイア広場に出る。さすがに二人ともに歩き疲れてきたため、石のベンチに腰かけて小休止、水分補給タイム。

フォロ・ロマーノ

同 上

コロッセウム、遠望

ここからはアウグストゥスのフォロほかの遺跡群から、カエサル像、フォロ・ロマーノ、さらにコロッセウムまでが遠望される。古代ローマの遺跡群のただなかにいるという実感をおぼえる。この足で、この地を踏んでいる・・・という感動だ。

そして古代ローマの遺跡といえばローマ市内だけではなく、そこからローマ帝国の各地を網の目のように結んだ街道そのものも重要な構成要素なのだ。

 (付録⑥)ふたたび塩野七生著「ローマ人の物語Ⅹ すべての道はローマに通ず」より、・・・同時代の志那人のように、山を越え谷をはい上がってはつづく長い防壁を築くのではなく、その十倍いや二十倍の長さになろうとも道路を通すことを選択したのが、ローマ人だ。彼らは、道路とは、国家にとっての動脈であると考えていたように思われる。

 さてここから、次はカブール通りへ入りジェラートを買って舐めながら歩く。今日も暑い!・・・

古い街並みに見とれながら歩いていくうちに、予定の道順をはずれてどうも道に迷ってしまったらしいことに気づく。持ってきた地図上の位置もわからなくなってしまった・・・。(現在のように、スマホGPS機能が付いているというような状況ではないのだ)しかし道をたずねようにも人が・・・いない、のだ。日差しばかりが・・・ジリジリと暑い。

 しばらく歩いていくと何やら大きな公園に出くわす。前から歩いてきた地元のおばあさんに英語で道をたずねる。だが、通じない!・・・弱ったぞ!・・・しかし世の中捨てたものじゃない、それを見ていた(らしい)道端のcafé?のおばさんが手招きをしてくれている。

「テルミニ駅は?(英語)」

「××△▼〇〇(韓国語?)」

「あっちですか?(日本語)」

「ああ日本人ね、この公園をまっすぐ戻ってずっと行って右手よ(英語)」

「有難うございました(グラッチェ)!!」

・・・あとで地図で確認したところ、その公園は有名なエマニュエル二世広場でした。

エマニュエル二世広場

ようやくテルミニ駅に到着。駅地下街に入り、Spizzicoにてコークをいただく。ふうーと一息つく・・・美味しい。

Spizzicoにて

お疲れさまでした。地図上でたどると、歩行距離は15Km弱。歩数にして家内なら、約3万歩!!いやあ、良く歩いた。ホテルに集合時刻ギリギリに戻る。・・・

(付録⑦)締めくくりに塩野七生著「小説イタリアルネッサンス3 ローマ」より・・・・わたしの生まれ育ったヴェネツイアは、中世ルネサンス時代や美しさでは無比の都市だが、古代はどこにもありません。フィレンツエも別の美しさながら、中世・ルネサンスの精神が結晶した花の都です。あそこでも、古代は影を落としてはいても、古代を気にしないで生きていかれる。しかし、ローマはちがいます。ローマでは、中世時代の教会を訪れても、教会堂をささえている円柱は古代のものなのです、・・・・・

なごりおしいローマ、イタリアをあとに、バスにて空港へ。アリタリア航空JALコードシェア便)にてミラノ経由、JL418便にて日本へ。素晴らしい旅でした!そしてお疲れさまでした!また良い旅を!!

アリタリア航空JALコードシェア便
ーローマの海岸線か見える-

 

つづく、次回その⑫(面白写真編Ⅰ)