香港旅行記 その⑦(面白 写真編Ⅱ)
平成16年(2004年)8月9日~12日
付:昭和57年(1982年)6月 香港出張記
(記録)令和5年(2023年)11月
takachan
Ⅰ乗り物ー自動車、トラム
まずは、二階建てトラムと二階建てバスの並走から、
なかなか、カッコいい写真になりました。
トラムのラッピングにもいろいろなバージョンあり。
こちらは、トラムの車内に貼ってあった「料金表」。
香港電車百周年:大人2ドル、子供1ドル;65歳以上1ドルとなっています。
(1香港ドル=17〜18円;当時)
1982年の二階建てトラムも再登場、
続いてタクシー。こちらでは「的士」と書きます。
1982年の深圳を走っていた「的士」確か運転手は、女性でした。泥道を走るためか車体は汚れたまま、 ドアは手動です。
これは特殊車両、香港市内で見かけた消防車です。
こちらは変わり種、移動図書館。ちびっ子は借りた本を返しにきたのかな?
Ⅱ乗り物ー鉄道
香港九龍-広州深圳をむすぶ「九広鉄道」を再び、
まず2004年・・・・・
1982年の九広鉄道、単線、ディーゼル・・・
車窓から、・・・田園風景です。
香港市内のメトロは、1982年当時からありました。(2004年には乗車する機会がなかった)
Ⅲ乗り物ー飛行機
1982年香港出張時に乗ったのは、アリタリア航空。
(アリタリア航空はその後の慢性的赤字と、新型コロナウィルスによる航空需要の減退で、2021年に経営破綻。イタリア政府による再国営化により新会社ITAエアウェイズへ経営が引き継がれた)
1982年当時といえば、香港の空港(啓徳空港)が 市街地のすぐ脇だったことが特筆されます。着陸機の写真を再び、ネット検索から二枚。私が乗ったアリタリア航空機もこの同じルートから着陸したわけです。
まったく恐ろしい光景です。騒音もひどかったと思われます。
Ⅳ乗り物ー自転車
1982年当時の、深圳での乗り物の主役は、なんといっても「自転車」です。深圳市内の小売店に並んだ新品(?)の自転車、26インチ自行車182人民元とあります。
Ⅴ看板
香港名物ともいえる、街なかの看板の洪水を3枚、
結構、日本語も氾濫してますね・・・
同じく、1982年の香港からも3枚、
これは、変わっていないですね、・・・
次は同じ看板でも、映画の予告看板です。
こちらは、おまけです。・・・
Ⅵホテル
泊まったハーバービューホテルが「どうも記憶にあるような・・・」と思っていたところ、1982年の写真を改めて見返してみて「当時見学した新築ホテルが、実はハーバービューホテルだったのでは?」という写真がありました。(記録がなく確認できないのですが)
Ⅶ夜景
素晴らしい香港の夜景を最後に、・・・
まず1982年から、今はない名物水上レストラン「JUMBO」の夜景写真、
JUMBOレストラン内部の写真、、内部は絢爛豪華だった記憶が・・・
香港の夜景、ラストは最近(2021年)の大みそかの 花火の写真です(ネット検索)。
Ⅷ2023年の深圳(2023.11追記)
1982年の深圳、2004年の深圳をご紹介してきたところで「現在(2023年)の深圳は更に発展して様変わりです・・・」というコメントをいただいております。是非また行ってみたいところですが、とりあえずウィキペディア情報からひろってみました。
深圳市は香港の新界と接し、経済特区に指定されている。中国屈指の国際都市であり金融センターとしても重要な機能を果たしている。人口は約1766万人(2020年)総合的な都市ランキング(アメリカのシンクタンク)では中国本土で北京市、上海市、広州市につぐ4位。住民構成の特徴は移民都市であることで、元来は一集落にすぎなかったものが改革開放経済の過程で外部より労働人口が流入した。(1982年2万人→2004年700万人→2023年1766万人)現在深圳市内には超高層ビルが343棟あり、地下鉄も急速に発達1日の乗降客数は512万人に達する。・・・
最後におまけ:
やはりこの映画を観ずして香港を語るべからず!?(1973年公開)
ご覧いただき、有難うございました。
香港旅行記(2004)完
付:香港出張記(1982)
次は、つい1ヶ月前に行ってきたオーストラリア・メルボルン旅行記(2023)を準備中です。新型コロナ禍が収まり、ようやく実現した海外旅行 再開第一弾です!よろしくお願いいたします.
takachan