香港旅行記 その⑤(深圳)
平成16年(2004年)8月9日~12日
付:昭和57年(1982年)6月 香港出張記
(記録)令和5年(2023年)11月
takachan
(8.11続き)カウルーン・ホテルに集合しUFO(ユーフォ?)さんのガイドで、深圳へ出発だ。新しくなった鉄道(九広鉄道(KCR))に乗車して45分、快適な列車旅だ。
外は雨が激しく降っている。香港市街地の北にあたる新界(ニューテリトリー)地区には、広大な緑とため池が拡がるなかに高層マンションがちらほら散在している。列車の乗客には、以前と同じく香港に買い出しに来た人たちの姿も多く見られるようだ。
22年前は旧式の緑色の列車で、冷房もなくて大きい荷物が頭上を飛び交うような混雑の中でジッと我慢の乗車だった記憶がよみがえる・・・。
深圳に到着、ピカピカのイミグレーションで入国手続きをする。
雨にぬれる列車の窓越しに見えるのは、渋滞中の数車線の高速道路と新しい高層ビル群、きれいに手入れされた緑の並木、・・・。
人口は2万人から700万人に急増!住民の平均年齢は28歳とのことだ。
22年前はまだ「何もない」に等しかった。泥道の中に家が並んでいた街が、新興街に変貌している。
当時商店で売っていた品物と言えば、サンダルと自転車と乾物くらいしかなかった・・・。人民服姿の人(兵隊?)も多かった。それから皆スマートで、太った人を見かけなかった。
深圳博物館を見学、土産物店にも寄ってみる。売り子さんたちもまだ慣れない(あか抜けない)感じだ。小さくてかわいい急須を一つ購入する。「奥さま、お目が高い!(日本語)」
続いて民俗村へ。あいにくの雨つづきで、室内でのショータイム。なかなかビューティフルだ。夕食は冷えた青島(チンタオ)ビールで広東料理をいただく。
あえて「冷えた」といったのは、22年前のなまぬるい青島ビールの記憶があるからだ。
当時はなんとレストランに冷蔵庫がなかった!のだ。出された料理は、頭がついたままの生煮えの蒸し鶏で、これを取り分けるのだが・・・食欲がいま一つわかなかった。(写真はない)
雨も小降りになってきて、夜は屋外ショーを観る。これは圧巻!だった。火と水、力と美、人と動物、技と舞、音と光、・・・すばらしい演出にビックリだ。なかなか刺激的な体験だ。
次回来る機会があれば、雨天でまわれなかった街の中の様子をじっくりと見てまわりたいものだ。
様々な感慨を感じながら、ふたたび列車に乗車し香港に帰還する。
つづく、次回その⑥(香港Ⅳ~帰国;面白 写真編Ⅰ)
takachan