加賀・和倉温泉旅行記 その②(兼六園、料亭 穂濤)

加賀・和倉温泉旅行記 その②(兼六園、料亭 穂濤)

令和5年(2023年)4月17日~19日

takachan

(18日)朝もやの向こうに、柴山潟をはさんで立山連峰がかすんで見えている。望遠レンズの出番だ。

立山連峰と、柴山潟

朝食は大広間でのバイキングスタイル。こうした大広間に入ると、かつての会社の旅行での大宴会を思い出す。余興大会にカラオケと、幹事団の奮闘ぶりがなつかしく思い出される。その後はこのような旅行自体が減少し、最近では新型コロナ禍もあって「そういう時代もあったよなあ」という記憶遺産にでもなってしまうのだろうか。

朝食会場の、大広間

外人さんにとってはこのような畳敷きの大広間で食事をするということ自体がカルチャーショックなのかもしれない。メニューは和食から洋食まで巾広く、味もなかなか良い。

洋食(takachan)

和食(maritan;家内

今日はまず兼六園へむかう。金沢に来たら兼六園をはずすわけにはいかない。

途中、松井秀喜氏の生家わきを通過、今はベースボールミュージアムにもなっているとのこと。松井氏は石川県が生んだスーパースターだ。郷土の人たちの誇りにちがいない。

兼六園は10万m2隣り合う金沢城公園は30万m2 。最初に兼六園から見学する・・・。

兼六園加賀藩第五代藩主の前田綱紀の時代に、自らの別荘として建てられた「蓮池御殿」を中心としてその周りが庭園化されたのが始まりとされる。(ウィキペディア

兼六園 霞ケ池

さすが日本三大名園と言われるだけあって、どこを撮っても絵になる公園だ。池を借景とした美しい景観、大きな松の曲線、季節によって咲く色とりどりの花々・・・。

同 上

松の、曲線美

同 上

日本武尊
-明治紀念之標-

八重桜

霧雨模様で湿気の多いこの季節、特に印象に残ったのは見事な緑色に苔むした地面の広がりだ。この色彩が兼六園の景観のベースにもなっているように感じた。

苔むした、緑の地面

ここを訪れる多くの外人さんたちにとって、この日本を代表するような景観はどのように映っているのだろうか。

道路を隔ててお隣の金沢城公園へ足をのばす。

金沢城は加賀百万石を築いた前田利家以来の歴代藩主の居城として300年近く繁栄した歴史をほこる。度重なる火災で一部を除いてほぼすべての建物が消失してしまったが、復元工事が進んで2001年から金沢城公園として一般公開がスタート。現在は、庭園やいくつかの門をはじめとして当時のありさまが徐々にもどりつつあるとのことだ。またここは様々な様式のお城の石垣が見られるということでも有名だ。

金沢城 石川門わきの櫓

同上、三の丸広場

残念ながら公園の中をくまなくめぐる時間はなかったが、公園の入口にあたる石川門の周辺から、修復なったばかりの河北門の内部などを見学した。

同上、河北門内部より

河北門より菱櫓、右手は湿性園

河北門内部の、構造

ガイドマップ
-拡大してご覧ください-

兼六園前の茶屋通りを見学しながら集合時刻の5分前にバスへもどると、ほかの皆さんは既に車中🚌でお待ちかね。さすがはご年配夫婦のツアー・・という感覚。時間に厳しいのがこの年代の美徳でもあるのだ。

茶屋通りにて

お世話になった、丸一観光のバス   右手、兼六園蓮池門
-結構、絵になっている-

昼食は有名料亭の「穂濤(ほなみ)」へ。犀川沿いの由緒あるたたずまいの料亭だ。川沿いの緑をながめながら、美味しい懐石料理をいただく。

料亭 穂濤、入口

同上にて、懐石料理

くずきり
-黒蜜(左)でいただく-

お献立
-拡大してご覧ください-

穂濤から、犀川

ふたたびバスに乗り、ここよりいよいよ和倉温泉の加賀屋へ向かう。

 

つづく、次回その③(和倉温泉、加賀屋)