中国:上海・蘇州旅行記 その➁(上海Ⅱ:浦東地区、外灘)
平成11年(1999年)8月1日~5日
(記録)令和6年(2024年)10月
takachan
(8月2日)
ホテル10Fの部屋から見下ろす朝の通勤ラッシュ、 バイク、自転車の群!!
*この旅行記の写真はフィルムカメラで撮った当時の古い写真をデジタル処理したため、画質が劣ることをご容赦ください。
ホテルの美味しい朝食ビュフェをいただいて、今日は上海市内ツアーの二日目。
張君のガイドで先ず「浦東タワー(東方明珠広播電視塔)」へ。世界第3位の高さ(当時)とか。展望台から市内を一望、歴史の重層都市「上海」の街並みだ。
近くのビル群の中から森ビル所有の「森茂国際大厦」に入ってみる。テナントは日本企業中心だが、まだ 結構空室が目立つようだ・・・。
マイクロバスに乗って「南京東路」~「福州路」~「外灘(バンド:ワイタン)」とまわる。
「外灘」で下車し、川風に吹かれながらイギリス租界時代の古い建物群をめぐる。かつてここへ日本軍が 押し寄せてきて占領した時代があったのだ・・・。
暑くなってきた。このあたりは観光客の撮影スポットになっている。
中国人民解放軍の制服姿で記念写真を撮っているのは地方から出てきた兵隊さんか。
川(黄浦江)の水はかなり汚染が進んでおり、支流の蘇州河は特にニオイがきつい。
蘇州河の橋を渡ったところにあるのはロシア領事館。
ちょうどお昼時で、近くの工事現場では工事夫たちが弁当をひろげている。
昼食は「上海賓館」でいただく鶏料理、美味しい!
食後「南京西路」を散策する。「梅龍鎮伊勢丹」に入る。清潔で洗練された店内は、空調も効いていて心地よい。美人の店員さんが大あくびをしている・・・。
表通りから一歩裏へ入ると、古い住宅街になる。そうした対比が「上海」の姿のようだ。
補足
近年の上海の発展ぶりは目覚ましいものがある。ここでは過去~現在の浦東および外灘地区の写真を見比べてみよう。まず昔の外灘地区から、
写真の建物群の大半は、そのまま保存されている。
*外灘の歴史:外灘は、アヘン戦争後1842年に英国と清との間で締結された「南京条約」により設定された「英国租界」。その後1854年に英国・米国の共同租界となった。外灘は東アジアにおける金融のハブとなって、各国の銀行や領事館、新聞社等の建物が建設された。
第二次世界大戦後の国共内戦により共産党が勝利したことにより金融機関等は徐々に移転したが、1970年代末から中国共産党が市場経済を導入していく過程で、外灘の建築物は次第にかつての用途で使われるようになった。・・・(ウィキペディア)
外灘地区 地図(1999年現在)
つづいて、旅行当時から18年後の現在(2024年)の浦東地区。1999年の写真と比較して欲しい、
午後からは、上海博物館を見学する。
つづく、次回その③(上海Ⅲ:上海博物館ほか)
takachan