タイ旅行記 その⑥(アユタヤ)
平成9年(1997年)8月16日~20日
記録 令和5年(2023年)7月
takachan
(19日)今日はバンコクから北へ1時間半の爆走!で古都アユタヤへ。
アユタヤは14世紀から18世紀にかけて繁栄した王朝だが、ビルマ(ミヤンマー)のコンバウン王朝による攻撃を受けて消滅した。当時の建造物や石像は徹底的に破壊され、ほとんどの寺院・王宮は廃墟と化してしまった。(ウィキペディア)
そうした廃寺、王宮跡をめぐる旅だ。
ワット・ローカヤ・スターラームでは大きな涅槃仏の周りを巡り、朽ちかけたワット・マハタートでは静けさの中に独特の「気配」のようなものを感じる。高台のワット・ヤイ・チャイ・モンコンから遠望するタイの田園風景をながめながら、ここちよい風に吹かれる。 ここにも大きな涅槃仏が・・・。
ワット・マハタートでは、仏像の首がビルマ軍にすべて落とされた状態のまま放置されている。有名な木の根に覆われた仏頭の、一種不気味な姿にアユタヤの歩んできた厳しい歴史の跡を感じた。
そういえばよく犬を見かけるような気がする。大きなダレ犬が廃墟のなかに寝そべっている姿は、なんとなくユーモラスでのどかな感じだ。
寺の中にある白い仏像の群は、お墓とのこと。大きさもまちまちだが、それはお金次第なのだとか。今も昔も変わらずなんとも世知辛い。
山田長政ゆかりの日本人町の跡をめぐる。川向うの緑と水上生活者の群を遠望、のどかな風が吹いてくる。
チャオプラヤ川の中州にあるバン・パイン宮殿へ。
バンパイン宮殿はアユタヤ王朝の末期に建設され、歴代の王たちの離宮として利用されてきた。ビルマ軍の侵攻後しばらくは放置状態だったが、その後再建されて現在もタイ現王室の住居・迎賓館として利用されている。(ウィキペディア)
アリさんいわく「タイは民主主義国家ですが、同時に王国でもあります。ここへ来てこのきらびやかさに触れると、やはり貧富の差というものを感じますね」と。囲われた中での、作られたきらびやかな「美」というイメージだ。
ものうげな(?)衛兵たちが行進していく。
ここからはチャオプラヤ川をバンコクまで下る「クルーズ船」の旅だ。・・・
つづく、その⑦(チャオプラヤ川クルーズ、帰国へ)