平成22年(2010年)8月15日~20日
(記録)令和5年(2023年)1月~2月
takachan
先般発生した大きな地震によって甚大な被害を受けたトルコ、シリアの被災者の方々ならびに両国民の皆さまへ心よりお見舞いを申し上げます。
(19日)今日・イスタンブール最終日は、一日フリータイムだ。
抜けるような青空の下、ホテル近くにある軍事博物館へ徒歩で向かう。
途中の建物に入り、「ここは博物館ですか?」と英語でたずねると、受付の女性たち「博物館はこの先です」と笑顔で答えてくれる。
(そこは放送局。「こういう人たちが、たまに来るのよね・・・」という感じか)
軍事博物館はじっくり見ると2時間コースという、見どころ満載の場所。
コンスタンチノープル攻略戦(**)~第一次(*)~第二次世界大戦~現在・・・戦場を描いた絵画、ジオラマ、甲冑・武具をつけたマネキン、当時の武器・武具類、~~戦車、現代のジェット戦闘機まで。
(*)第一次世界大戦ではトルコ(オスマン帝国)は、同盟国側(ドイツ、オーストリア側)にたって敗戦。その後オスマン帝国は滅亡し、アタルチュク(ムスタファ・ケマル)によるトルコ革命を経て「トルコ共和国」として生まれ変わった。その後、第二次世界大戦では連合国側にたち戦勝国となった。
(**)ふたたび塩野七生著「コンスタンティノープルの陥落」より、攻略戦 最後の山場の描写から「・・・すさまじい白兵戦は、一時間もつづいた。勇猛で知られ、トルコ陸軍の背骨と評判の高いイエニチェリ軍団も、さすがにその間新しい戦果をあげることはできなかった。敵も味方も入り混じって闘う固まりが、城壁一帯に渦巻のようにできてはまた散った。 それを、陽の出直前の朝の光が、はじめのうちはぼんやりと、やがて少しずつはっきりと浮びあがらせる。激闘は、すでに五時間におよぼうとしていた・・・」
トルコは今ではNATOで2番目の軍事大国(兵員数)とのこと。見学者よりもスタッフの方が多い印象だったが、展示物のラインアップはなかなかのものと感じた。そこにはかつての戦勝の誇りのようなものを感じることができた。
軍事博物館からの帰りみち、ヒゲ面のおじさんが話しかけてきた。英語でいわく「私は日本が大好きだ。日本は昔は強かった、but今はなにもしないで見ているだけだ。・・・これからの日本に注目しているよ」と。気の利いた答えを返せないまま、「バイ」といって別れてしまった・・・。日本をしっかりと見ているな、と感心した。
昼食にはトルコ風ミートボールの店に。これが美味かった!となりの席では地元のビジネスマンたちがランチタイム中・・・。
散策がてらインターコンチネンタルホテルの最上階へ登り、窓際のラウンジでイスタンブールのパノラマを楽しみながらトルココーヒーをいただく。ボスポラス大橋~金角湾、行き交う船たち~旧市街の宮殿、モスク群、新市街の車の流れ、近くには緑の芝生のサッカー場も。リッチな気分で至福のコーヒータイム!
ザ・マルマラ・イスタンブールに戻り、荷物を車に積み込んで空港へ向かう。
ムサ君と固い握手、有難う!!
・・・空港のバーカウンターで、EFESビールを注文、家内と乾杯!
すばらしい旅でした。TK52便で、一路成田へ。
つづく、次回その⑨(面白写真編Ⅰ)