平成12年(2000年)8月23日~26日
(記録)令和6年(2024年)12月
takachan
(8月24日)
朝方目覚めて、ベランダからの眺望を楽しむ。
圓山大飯店の朝食は、洋風のリッチなバイキング。
余さんの案内で、今日の観光へ出発。 先ずは「故宮博物院」へ。
ここには国共内戦に敗北(1949年)した蒋介石の 国民党政府が、あわてて南京(*)からこの地へ移設した歴代皇帝の宝物が納められている。
*中国最後の王朝 清が倒されたとき、歴代王朝から引き継いだ 膨大な財宝を受け継いだ中華民国政府が 北京の宮殿(故宮)と財宝を一般公開(1925年)したのが「故宮博物院」のはじまり。 日本軍の中国侵略が激化した際、財宝は北京から上海へ そして当時の首都南京へと移された(1937年)。
日本軍との全面戦争が勃発すると、財宝は南京からさらに大陸 奥地へと分散して保管された。日本の敗戦(1945年)によって財宝は南京に戻ったが、その後の国共内戦に敗北(1949年)した国民党政府によって、南京から台湾・台北郊外の地へ財宝は移された。これが「故宮博物院」として1965年に公開された。(地球の歩き方より)
数多くの展示品を拝見するにあたり、博識の余さんの解説から「観るべき五つのポイント(余さん)」をあげて代表的な展示物をみてみると、・・・・・
-1)ヒスイの「白菜」と「キリギリス」の見事さ、、博物院で一 二を争う傑作。
*故宮博物院を代表する「翠玉白菜」は、翡翠を彫刻したものである。白と緑の部分を白菜の白い部分と緑の葉の部分に当たるように彫刻したもので、緑の葉には謎めいた組合せのキリギリスまたはイナゴが彫られている。清代後期の光緒亭に嫁いだ瑾妃が、嫁入り道具の一つとして持参したものである。(故宮博物院 案内書より)
こちらは、不思議な天然石、、、
*角切りの豚肉に似た「肉型石」は全くの自然石である。「肉型石」は「自然の悪戯」という言葉がぴったりする展示品で、肉塊の表面には一つ一つの毛穴まであり、脂肪がすでに煮えているように見える。故宮博物院には人間の技術の極致を極めた作品が数多く所蔵されているが、「肉型石」は人間の手が加えられていない数少ない展示品の一つである。(故宮博物院案内書より)
-2)「一刀彫」の職人芸、、、サンゴなどの材料を 一刀彫で仕上げた見事な作品の数々。
*この多層球は一本の象牙から彫り上げたもので、最初に半分に切ったボールを小さい順から入れたものではない。現在この作品の作り方は解明されているが、これと同じものを彫れる工匠がいないため将来ともにこのような作品を作れないといわれている。(故宮博物院案内書より)
-3)チベットの「仏像」、、男女交合の像、虎も襲わないという歓喜の姿。
-4)「鼎(かなえ)の軽重」とは、、、「青銅器」を持てる家は、熱を料理に使える金持ち。
*鼎は食物を煮炊きする炊食器であるが祭事での祭器として神格化された。西周時代には国家権力を象徴する神器となった。 「鼎の軽重を問う」とは、鼎の所在やその重さを問いただすことすなわち国権に対する干渉をすることを意味する。(故宮博物院案内書より)
陶磁器から二点、、
*青磁無紋水仙盆:北宋汝窯青磁における唯一無二の名品。釉に貫入がほとんど見られず、明時代の文献に汝窯青磁のなかで最も優れているとされる無紋のものに唯一該当する。(ネット検索)
*青花穿蓮龍紋天球瓶:明代永楽から宣徳年代の青花磁器は酸化コバルトを顔料として用いており青花の発色が濃厚で色鮮やかである。(ネット検索)
-5)「書」に書かれた「朱文」は、、これを読んだ「皇帝」の感想文。・・・・・
常設展示品が約6,000点(その他に、8ヶ月に一度入替えられる展示品が多数)といわれる膨大なコレクションは、とても90分で観られるものではない。2~3日かけたとしても 全貌を観られるかどうかわからないほどの質と量。博物院の案内書(日本語版)を購入!
感慨を胸に、故宮博物院をあとにする、、、
つづいてDFSに立ち寄り、スターサファイヤ、龍の置物などのお土産を購入。
昼食は「鼎泰豊(ディンタイフォン)」へ。ここは「小籠包」で有名だ。
この店は入口は狭いものの、中の広さとその喧騒 (混乱?)ぶりにまずビックリ。ただこれも余さんによると、コンピューター管理された状態とのことなのだが・・・。
3階以上の部分は、隣のビルまで打ち抜いて拡げた 空間とのこと(どうなってるの?)・・・そしてお味は文句なし!!美味し-い!!
*鼎泰豊(ディンタイフォン):1958年に台湾台北市で、食用油を扱う油問屋として創業。1972年に小籠包をはじめとした点心料理店を開設。現在は日本、アメリカをはじめ世界に展開中。
午後からは、最初に「龍山寺」へむかう。
takachan