イタリア旅行記 その④(ピサ)

イタリア旅行記 その④(ピサ)

平成14年(2002年)8月9日~16

(記録)令和5年(2023年)3月

takachan

(11日)今年のヨーロッパの異常気象は長雨と気温の低さだ。今回ツアーの対象外になったヴェネツイアはもともと干潟の上に作られた都市で、しかも近年地盤沈下が進んでいるということもあってほぼ水没状態という。有名なサンマルコ広場も水びたし状態で、ゴンドラも流されないように固定されたままだそうだ。

中にはヴェネツイア行きを強行するスケジュールのツアーもあるとのことだが、こんな状況の中ではどんなものだろう。ということで、われわれの今日の行先はヴェネツイアの代わりに組まれたピサだ。イタリアには観光したい都市はいくらでもあるということ。早朝にミラノをバスでたって、高速をピサへ向かう。

 (付録①)今回行けなかったヴェネツイアだが、塩野七生氏の描いた都市国家「ヴェネツイア」の世界から、その一節・・・「海の都の物語」より

ヴェネツイア人が国家の統治をどのように考えていたかだが、それには統治というよりも、経営という言葉のほうがふさわしい。・・・ヴェネツイア人は、政治のプロは専門化してはならないと考えていたのである。しかし、行政のプロは、その道の専門家でなくてはならないとも考えていた。・・・(塩野氏は、都市国家「ヴェネツイア」の「人」を中心にすえて描写している)

  ピサに到着。街の城壁をまわっていくと、白亜の大聖堂とあの有名な斜塔が一望のもとに現れる。きれいな緑の芝生広場の中に、大聖堂と洗礼堂そして鐘楼(斜塔)などが配置された美しい景観だ。ピサでのガイドは日本語の上手なおじいさんのガイドさん(と、もう一人)だ。

ピサの大聖堂と、鐘楼(斜塔)
-斜塔が真っすぐで、大聖堂が傾いてしまった写真-

洗礼堂
-芝生広場をはさんで立つ-

斜塔(傾き5.5度)
-雲行きが、怪しくなってきている-

ピサの斜塔は放っておくとその傾きが増していく危険な状態のため、倒れないように補強工事をほどこしてきたとのこと。ただ逆に、真っすぐ直立するようにもならないように調整しているという。着工当時の建築家の意思とは反して、傾いてしまったがゆえに有名になった「斜塔」ならではの工夫ということだ。

斜塔の傾きは5.5度、斜塔の頂上は本来の位置から5m南に傾いているそうだ。着工したのは12世紀の後半、完成したのは約200年後の14世紀。工事は難航をきわめ建設の途中から地盤の悪さが原因で傾きだしたため、中心軸をずらしながら積み上げるという大胆な手法で建設が続けられたという。

その後何度も改修、補強工事が繰り返され、一番最近の工事はつい昨年(2001年)終わったばかりだそうだ。ちなみに大聖堂も洗礼堂も実は微妙に傾いているのだとか。

 大聖堂ではちょうどミサが行われており、これを入口から遠望させていただいた。ここで一旦解散し、しばしそれぞれで見学をすることに。

ミサの行われている、大聖堂の内部
-手振れ気味ご容赦-

洗礼堂内部の、ステンドグラス

ところが・・・、時を同じくして一点にわかにかき曇り突然の雷雨となった!・・・いやこれはもはや暴風雨だ!! 異常気象の洗礼か・・?

お土産ショップの軒先で、雨宿り

おそらく低気圧の寒冷前線がピサの上を通過でもしたのだろう。持っていた折りタタミ傘などまったく役にたたず、私も家内もビショ濡れ状態だ。ほうほうのていで集合場所に指定されていた街なかのレストランへ駆け込む。

 レストランは、IL TURISTA 1963。ツアー仲間からもすすめられて、家内ともどもレストランの売店で新しいTシャツを購入。せっかくならと斜塔のイラストが入ったTシャツにした。さっそく着替えてレストランの席に着く。飯島さんから「takachanかわいいー!」と言われてしまう。ツアーの皆さんと、美味しい魚貝料理とワインで乾杯!

ピサの斜塔Tシャツ

ようやく陽の光がもどると、今度はさわやかな晴天に。ほろ酔い加減でバスへ戻る・・・。

雨上がり
-斜塔の見える、レストラン裏で-

すると、ここでやってきましたジプシーとおぼしき少女たちの一団。飯島さんの注意メモにもあったのだが、こう取り囲まれるような状態になると逃げだすことも難しい。ワラワラと寄ってきて・・・何やら話しかけながら、ポケットに手を突っ込むわ、何をするわの大胆さだ。すばやく手をふって防ぎ、声をあげてにらみつける。

なんてカッコいいことを言っているが、これも事前に教えていただいた飯島メモのおかげだった。彼女たちは一旦はあきらめるものの、あい変わらずうらめしそうな顔でしばらくついて来る。まったく!・・・・。ようやくはなれて行ってくれてホッとする。日本では考えられないようなジプシーたちの問題、ヨーロッパの歴史の負の一面を垣間見たような瞬間であった。

 

つづく、次回その⑤(フィレンツェⅠ)